30歳になっても裸眼で生活できているのは
僕にとっての1つの自慢と言っていい。
小さい頃に
視力は歳を取ったら急に落ちると言われて
それに抗いたくて
湯船に浸かりながら目のストレッチをしたり
寝る時はあずきのアイマスクで目元を温めたり
なるべく目に負荷をかけないように
意識をしてきた。
まあそれでも目の疲れというか
時に何をしてても目が疲れるみたいな日もあって
元々視覚が敏感なのかもと思う時もあるし
これから先老いていく中でどうやっても視力は落ちてくるとは思うけど
「死ぬまで裸眼」を目標にしているとこはある。
(今死ねば達成できる!!)
で、視力が落ちることに危機感を覚えているわけだけど
それはやっぱり
目が見えることが自分が生きることにおいて
かなり重要だと思っているから。
視力が下がってもコンタクトやらメガネやら視力回復手術やら
まだ補える方法はある。
けど、もし今自分の目が見えなくなったらと思うと
とても恐ろしさを感じるんですよね。
世の中には全盲でも生活をしている人がいます。
だから社会的には一巻の終わりとはならないけれど
今の自分を支えていることの大半は視力ありきだと思うんです。
今、記事を書いてることもそうだし
日々の生活に必要なこと、いま何気なく行っている動きや思考は
目ん玉が機能できているから可能なわけで。
世界が何も見えなくなって
それでも息はしているって
個人的にはかなりの絶望感を感じると思うんです。
僕は生活の中で
意図的に暗闇を作る習慣があって
それは電気を消して湯船に浸かるとか
布団を頭からかぶるとか
意図的に視覚情報を遮断することで
思考を整理するというかリセットするというか
まあ自分にとっていい方向に働かせている意識があるのだけど
それは意図すればまた世界を見えるようにできるっていう前提があるから
できるのであって
きっと自分で選べない暗闇はとてつもなく
こわい。
もしそうなったら
僕は
点字を覚えるとか杖の使い方とか盲導犬がどうとかせず
自ら死を選ぶんじゃないかと思う。
そんなことも考えている僕の日々です。
寝る前にくらい中でスマホを見続けるなんて
怖くてできません。
以上。

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