上司は偉くない。

立場が上がれば偉くなる。

という勘違いというか

迷信を無意識に信じているのが

当たり前なのがこの社会。

もしもボックスがあるのなら

皆が謙虚な世界線を見てみたいですね。

それはそれで問題はあるんだろうけど。

ということで、あらゆる場面というか

実感しているのは特に働いていた時ですね。

この立場が上→自分は偉いと思って

横暴に振る舞ってしまうという現象。

どんな職場でもありました。

役職もそうだし

正社員が単発の派遣社員に対してとかも。

ここからは持論であって確証があるわけではないですが

大抵、この思考の人は

部下に対して強くあたるのがデフォなんですよね。

で、部下というのはその人よりもある分野においては

知識も経験も乏しいわけです。

つまりミスをする確率がどうしたって高い。

で、いざミスをすると

間違った思考に気づかないままの上司ポジションの人たちは

怒るんですね。基本的に改善を求めるとか

ポイントを指摘するといった意味ではなく

ただ罵っているというか

相手を萎縮させてしまうアプローチをしてしまう。

パフォーマンスの落ちた部下はミスを繰り返し

上司はそれに伴い罵声を繰り返し

あいつは仕事ができないと怒鳴り散らかすみたいな

まあこれはパターンの1つなわけですが

これがいわゆるお局と言われる人だったり

パワハラで訴えられたり、精神疾患を引き起こすトリガーになったりするんです。

で、こういう人がどこにでもいる。

どんな職場にも最低1人はオプションとしてついてくるんですよね。

強制加入で自分で解約できない。

母体がそのオプション自体をなくすか

なんらかのバグでそのオプションが勝手に消えるかしないと

ずっといるんです。

で、思うことたくさんあるんですけど

まず、なんでこれが起こるのか。

2つパターンがあると思っていて

1つはその上司のさらに上が

同じアプローチだった。

つまり、自分が今までたくさん怒られてきて

今のポジションにいるのだから

「部下がミスをしたら怒る」というアプローチが

上司としての正解だと思ってしまうということ。

この場合は蛙の子は蛙現象になってしまうので

どっかで変革が起こらない限りは組織は変わらんことになります。

昔ながらの〜みたいなのはこの印象が強いイメージを

勝手に持っています。

怒るアプローチしかできない人のもとについてしまったという

ある意味での不運と

怒る以外の選択肢を持ち合わせていない自身の知識不足が

このパターンを生むんじゃないかと。

で、もう1つは

上司のパーソナリティというか

部下や後輩から見下されたくない

舐められたくないといった感情からくる

防衛反応のために強くあたってしまうというパターン。

僕の場合はお局と呼ばれる人はこの類なんじゃないかと

勝手に思っています。

その環境が生み出したというより

その人の昔からの性格として

小さい頃からそのように人と接してきたのか

はたまたある出来事がトラウマになって

そういう性格に変えてしまったのか

とにかくいじっぱりが先行してしまうといった感じ。

優しくすると舐められるんじゃないかという恐怖観念というか

危機感があるために

どんな環境にいても自分が上の立場になったら

お局モンスターに変わってしまうんだと思ってます。

で、次になぜ指導ではなく怒号なのか

これは知識不足と解釈違いだと思っていて

指導や教育という言葉と罵声や怒りを

セットで考えてしまう。

怒れば成長するものだと認識していること。

そして強く当たること以外の選択肢がないということ。

これは自分であれ?おかしくね?と気づくとか

向上心があって教育について学ぶとか

たまたま他の環境で別のアプローチに触れるとか

何かしらのきっかけがないと

別の選択肢は見つからないのかなとか思ってます。

どちらにしろ

知っていたらやらんよね〜と思うと、それをみている

もしくは実際に怒られていても

あ、この人は知識がないか舐められたくないんだろうな〜

って思ってました。

という感じで

知識、思考不足が招いた社会の縮図という感じがするわけですが

怒ることそれ自体が悪いとは思っていなくて

というのはそれが必要な場面もあるんじゃないかと。

例えば人命救助や一度のミスが

自分を含めた誰かの命に関わるといった時に

間違えちゃったね、次はどうしたらミスをなくせるか

一緒に考えてみようかと

そんなふうに考えている場合じゃない場合には

その1つの選択がどれだけ重要かを伝えるために

怒ることも必要だと思います。

子供が危ない目にあいそうになった時に

それがどれだけ危険かを自覚させるためとか。

「命」に関わる時がそれなのかな。

と考えると、別にミスしたとて

死ぬわけじゃないことにわざわざ怒る必要はないよなと

思うんですね。

仮に怒るというアプローチが

教育上、最善の選択肢だとするなら

世界中もっと怒鳴り散らかしているだろうし

パワハラが社会問題になんてならないだろうし。

あとは「失敗」という文字も影響力強いと思うんですよね。

失う、敗れる

もう失敗したら一巻の終わりみたいなニュアンスを感じます。

そう考えるとこれだけ平和な世界においては

大抵のことを別に失敗と捉える必要は

ないんじゃないかと思ったりしますね。

とまあいろいろ書いてきましたが。

本質的な部分で

本当に偉い人は偉そうにしない

と勝手に思ってます。

特定の分野で優れているのが

(まあ優れていないんだけど)

広い意味で人として優れていることにはならないと。

一つの仕事ができることが

人間として全てが優れているみたいに考えてしまうのは

危ないんじゃないかな〜って。

組織で人の上に立つ、上司になるって

偉そうにすることが仕事じゃなくて

自分に任せられた業務をこなすこと

部下を育てることに

責任があるわけで

部下のミスを繰り返す、業務に支障が出るというのは

そのまま上司の教育スキルが低いと思ってます。

もしくは改善が見られない部下を在籍させ続ける

組織の問題なのかなとも。

あなたは自分に子供ができたとして

よちよち歩きからうまく立ち上がれなかったら

罵声を浴びせるんですか〜とか

あなたも何も知らない時期があったのですよ〜とか

思ったら

割と怒られることに耐性が

ついたりつかなかったりするかもしれません。

以上。

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