最近はその日を生きるので精一杯といったコンディションで過ごしております。
食料品を買いに行くために外に出れば
そこかしこで仕事をしている光景を見るわけですが
少しの外出で体力を消耗する身としては
いや〜今の自分にはそんな体力ないわ〜と内心、世の中の当たり前と
今の自分との乖離に複雑な感情です。
で、今回はいつの間にか呪われている
「しなきゃいけない」という概念について。
仲良い人と話をしているとその人の悩みというか
言葉の断片に「〇〇しなきゃ」って出てくるんですよね。
なんなんですかね、これ。
僕もかつてこのしなきゃの呪いにいつの間にかかけられていて
その責任感と結局できない無能さに板挟みになって
落ち込むみたいなことがしょっちゅうありました。
いつからだったか
「あれ?別にしなきゃいけないって思う必要性、ないぞ?」
と、気づいてからは心の軽さというか負担がだいぶ軽くなって
それが生きやすさにもつながっているんじゃないかなと思ってます。
適応障害になって、生活保護になっても
なんとか生きて来れていることには
その要素も大きいんじゃないかと感じてます。
そんな思考グセみたいなものが自分の中でいつの間にか定着してるんですよね。
で、それが自分を苦しめている要素になっているということに
なかなか気づかない。
話を聞く人に「しなきゃっていう解釈やめてみたら?」と言っても
あんまりピンと来る表情が見られなかったり。
無意識に自分を苦しめるこのクセはなんで生まれるんでしょうかね〜。
やらなきゃって頭で考えずとも
やる時はやるし、重要性の高い物事はやらなきゃなんて思わず
すでに始めてるなんてことが多い。
苦しいのは
自分の中であれをやろう、これをしようと思ったことが
外からの要因やら自堕落やらで続かない状況が続くと
知らず知らずのうちに「やろう、しよう」という表現が
「やらなきゃ、しなきゃ」という圧力をかける表現に変わってしまう。
結果としてできない、けどやらなきゃという呪縛に苦しめられる。
それがきっかけで精神的にまいってしまうなんてこともあるんだろう。
このことに気づいた時も感じたけれど
つくづく言葉のあやというか、ちょっとした表現の違いが
人生にとって大きな違いを生むんだと。
だからこそ語彙力が乏しいとかはおいといて
言葉を伝える時のニュアンスを結構意識している。
(できているとは言っていない)
まずは自分自身に向けての言葉使いを意識するのが
かなり大切だと思うのだけど
そもそもこのしなきゃの呪縛に囚われる傾向があるのは
どんな人なのだろうと考えるに
責任感、誠実、真面目、不安、自信のなさ
みたいな言葉が連想されるような人ではないかと思う。
(ちなみに今の僕は責任感も誠実さも持ち合わせず、不真面目で不安や自信も何も持ち合わせていないただのクズである)
なんというか
物事を全般的にちゃんとしようって思う人ほど
自分で自分の首を絞めがちな気がするんですよね。
で、苦しいよ〜って言ってるのに
絞めてるのが自分自身ってことに気づかない。
しなきゃって思ってることほど
実は対してしなくても問題ないってことに
気づくか気づかないかですよね。
これは学校で教えてくれてたら違う人生だっただろうけど
まあ自分で気づけたっていう価値があるからそれはそれとして。
後はうまくいかないことが多かったり、自信がなかったりで
自らに発破をかける意味合いで使うこともあると思ってます。
これもまあアクセルを踏むのは大切だけど
ブレーキもちゃんと準備しとこうねって話だと思うし
別に道を間違えても何にも問題ないよってナビに教えもらえるように
プログラミングしとこうねってことだと思う。
手を抜くんじゃなくて、力を抜くっていうのを
身を持って知るといいなと思いますね。
以上。

コメント