唯一他責にできること

選択の自由が広がって

それに伴い人生の選択肢も広がった。

実際に選択するかどうかは別として。

一昔前は生まれてきた環境や能力によって

未来はある程度決められていた部分が多かったのだろう。

自分の希望や願望があったとしても

世間体や家庭の事情などにより

「まあしょうがない」といった感じで

諦めていた部分が多かった中で

今の時代は環境を自分で変えることができるし

世間体はむしろ抗うことに価値を感じるようになった。

自分の人生は自分で決める。

仕事も生き方も関わる人も。

そういった自己選択の自由がきくようになった反面

自己責任を伴う場面も圧倒的に増えた。

昔は時代がそうだから、社会がそうだから、世間がそうだからといった言い訳を使って

自己責任を逃れることができたが

今はそうもいかない。

いいことも悪いことも

自分の身に起きたことは自己責任。

それをポジティブに解釈して自分の心を納得させることもできるが

日常のちょっとした選択にさえ責任が課せられ

それならむしろ選択しないでいる方がいい人生を過ごせるのではないか

とさえ思うことがある。

が、果たしてなにも選択せずに生きる人生を終えた時に

これでよかったのだと納得できる人は少ないだろう。

もっと自分のやりたいことをすべきだった

もっと素直に生きればよかった

もっと、もっと、もっと、、、

といった感じで社会の生きづらさから逃げた結果

自分の人生を満足できずに終える。

それではなんのために生きているんだか分からなくなるし

もはや生きているのも死んでいるのも大差ないのではないかと思ってしまう。

じゃあこの自己責任を押し付け合う社会で責任を伴いたくない我々は

どうしたら自分の人生に向き合って進んで自分のために選択できるようになるのか。

その上でたった1つだけ私たちが正当な理由を持って他責にできることがある。

それは「この世に生まれたこと」である。

誰一人として「今、この時代のこのタイミングでこの夫婦から生まれたい」

と思って生まれる人はいない。

皆、両親とされる人が意図するしないに限らず、精子と卵子が受精し

細胞分裂を繰り返し、人体が形成され

母親のお腹から生まれたタイミングがたまたまその時だっただけなのである。

「生まれることは自分で選べない」

であるなら、自分がこの世に存在していることの責任を唯一なすりつけられるのは

この世に産み落とした両親なのである。

もちろん責任をなすりつけたからといって

物事が解決するわけでもないし

両親に対して罵詈雑言を浴びせたり、なにかしらの苦痛を与えたところで

物事がいい方に向くわけではないので

結局自分でどうにかする必要性は出てくる。

最終的には自己責任じゃないかと言われたらそれまでだが

仮に自分で選択した結果、自身に不都合な出来事が起きたり

嫌な気分になった時に

「あんたらが自分を産んだから、、、」と思うのは

1つの選択肢としてあってもいいのではないか。

最初は恨みを感じるが

恨んだところでどうにかなるわけじゃないと潔く諦め

解決方法を探っていく。

その先でまたよくないことが起きたとしても

それは親が自分を産んだからだと。

しょうがないと思えれば

行動することのハードルは少し下がるんじゃなかろうか。

ここまで書いてきておそらく

親に自分が生まれたことの感謝を捧げて家族仲良く暮らしている

といった人は共感しないだろうと思う。

私は親子関係に特に大きな問題もなく

虐待されたこともなければ

むしろ恵まれた親の下に生まれたと言える。

未来に固執することもなければ

「自分の好きなようにやりなさい」と干渉することもなく

金銭面でも沢山負担してもらった。

なに不自由なく育ててもらったが

自分の人生について内省を繰り返し

いつの間にか思想がひねくれて行った結果

一個人としての魅力を感じなくなっていった。

そんなわけでこんな価値観が生まれたわけだが

皆さんはどう思うだろうか。

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