僕はある時から死についてあまり恐れの感情を抱かなくなった。
僕の詩を読んで僕のことを知ってくれた人の中には気づいてる人もいるかもしれないけれど、僕の詩には
「死」や「命」といった言葉がよく出てくる
いつかはみんないなくなるなら
なんでそれを怖がる必要があるのか。
とはいえ本能的には自分が怪我しそうな時や危ないと思った時には
反射的に生存本能は働く。
別に死が怖くないからいつでも死んでもいいということではない。
マインドとしていつ死んでもいいと思うのと
生きることに妥協するのは違う。
死が怖いのはなぜかと考えるに
自分がどうなるか分からないからだと思う。
予想がつかないことに人は抵抗を感じるし
恐怖を覚える。
そして物覚えがつく頃に死ぬことは怖いという
周りの価値観が定着しているから
それが当たり前だと思うのだと思う。
だけど、世を見渡せば
死ぬのが怖いと言いながら早死にしようとしてるのが
多くの現代人ではないかとも思う。
酒、タバコ、加工食品、過度なストレス
わかっていてもこれらを無意識に受け入れて
気づけば大病を患い、苦しみながら死んでいく。
人生で後悔することなんていうけども
そもそも後悔するのはいずれ訪れる死が怖いっていう価値観のまま
死んでいくからであって
死とちゃんと向き合うことをしていないから起こるんではなかろうか。
これは自分に対しても、他者に対しても。
ずっといることが当たり前。
そんな意識が定着しやすい環境だからこそ
「突然の死」だと感じる。
自分の意思で死ぬことを選ぶ以外はそう感じるかもしれないけれど
色んな要因が混ざりに混ざった結果が
その時の死だと思っている。
これは別に死を悲しむなといっているわけではない。
例えば大切に思っている人が死んだ時
この先、直接関わる事ができないことを悲しむことはあっても
それを嘆くよりも、むしろ今まで関わってくれたことに
感謝してその先の人生を大切に過ごすっていうことのほうが
大事だと思う。
僕はなんだかんだ生き続けている1日の中でも
頭の片隅には「今日で人生が終わるかもな〜」とも思っている。
死を意識することが誰かと関わることや自分が行っていること
それが今日を最後にできなくなるかもしれない
と感じさせる。
これは別にビクビク怯えるんじゃなく
その一瞬一瞬を大事にしようと思える
そこに費やす時間を尊いものだと感じる事ができる
から意識するんである。
多くの人が何気ないと感じる場面に
喜びを感じたり、感謝したくなる感情は
どこかで死を感じているからだと思う。
そしてこれは塩梅が難しい事だとも思うが
今日で人生が終わるかもしれない
っていう考えのもと時間を過ごす時に
自分が今までやりたかったことを全部やろうみたいな
一分一秒も無駄にしないようにっていうような
考え方は違うと思っていて
それよりは静かに受け入れる
自分の選択や起きる出来事を自然と受け入れるっていうことのほうが大切だと思う。

コメント