今が当たり前だと思ってる時点で生活の質は下がる

という気がしている。

平和ボケというか、安全が保証されているのは

有難いことこの上ないのだけれど。

死を意識しないで暮らせるというのは

死を恐れている人にとっては

ある種の救いだと思う。

それでも誰もが年老いて天寿をまっとうできるわけではない。

交通事故や病気になる可能性はだれにでもあって

安全が保証されている中にも例外はある。

明日死ぬ可能性は限りなく低いだけであって

ゼロではない。

いつだってニュースを見れば

事件や事故で誰かが亡くなっている。

ニュースで見られるのは全国の中の一部だけだろう。

そんな中で僕が最近意識として上がるのは

外に出るために靴を履いている時は

「今日、誰かに刺されるとか交通事故にあうかもしれない」

家にいるときは

「急に心臓麻痺になることだってあるかもしれない」

といった感じで

死と隣り合わせというのをすごく意識するようになっている。

だからといって生活にビビるとかじゃなくて

仮にそうなったとしても受け入れる準備をしておく。

何もなくて家に帰って布団に入って眠ることができたのなら

今日も生きたという実感が湧く。

まあこれは極端な考え方だとは思うけど

そんな考え方で生きていると

1日1日を大切にしようと思える。

例えば

「あ〜あ、明日になったらまた会社か〜行くのやだな〜」って考えたり

誰かにイライラするとかその怒りをぶつけるとかって

自分がその日死ぬってわかってたらするんだろうかと。

少なくとも上記をどちらも経験した過去の自分だったら

後悔しているだろうなと思う。

今、死ぬのかよっていう。

まあ世の中には

今日死んでも良いから周りに怒鳴り散らかしてやろうとか

今日が最後だと思ってめんどくさがろうとか

覚悟を持ってそれを選択している人もいるかもしれない。

もちろん

安全が保証されているから

未来について考えることができるし

予定を立てたり

時間の使い方を考えたりができるのだけれど

本当に大切なのは今この時であるということを

主にギリシャ哲学から学んだ身としては

世界や時代が違うとしても

生きるという意味においては

本質として納得できるし

明日がくる可能性が高いとしても

やはり大切なのは今この時なのだと思う。

この意識の差は過去の自分と比較しても

とても大きいものだと思うし

QOLを上げるよりも

知らない間に下げることを

まずは防ぐことが必要なのではないかと

思った次第です。

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