社会的な無能はどう生きていくか。パート2

前回は割と俯瞰した考え方という感じだったので

次は完全に主観で感じたことをと思いまして。

今思い当たるのは2つで。

自分の生き方を確立することと

感謝、謙虚

1 自分の生き方を確立する

無能として落ちるとこまで落ちると

誰からも期待されなくなるので

自分だけの人生にフォーカスできます。

なので、自分の人生、日常の過ごし方の中で

自分がどうすれば満たされるかを考える。

はっきり言語化できたらそれを続ける。

僕の場合は

自分の人生を自分で意思決定するということがかなり大切で

その日、その時何をするか、何をしたいか、何をしたくないかを

自分で決めるっていうことが自分の人生を生きている実感にもつながるんですよね。

お金はあれば選択肢は増えるだろうけど

大金を持ってなくたって幸福度は上げられるし

お金で買えないものが自分の幸せだったりする。

例えば

好きなだけ寝られる、目覚ましを使わない。

今の僕はその時の自然なリズムというか自分が起きるかって思うまで

いくらでも寝れる環境だったりします。

まあ過眠症で苦しむこともあるんですけど。

(もちろん税金を払っているみなさんのおかげです、本当にありがとうございます)

自分で規則正しい生活リズムを築くも良し。

僕の場合は夜型の体質なのか、深夜帯の方が心が落ち着くし

頭もスッキリしていたりするので

割と夜中に起きている生活が多いです。

それでも太陽の光を浴びなかったりすると

セロトニンの分泌が少なくなって

うつ症状が悪化してしまうので

日が明るい時に活動する時もあるし、サプリメントで補ったりしつつ

自分の生活を自分で管理できる環境にいます。

後は散歩。

これだって靴さえあればできるわけで。

対してお金がかからない割にストレスは減るし

健康を保てるし、アイデアも生まれるし良いことづくし。

散歩の良さは経済力に比例するわけじゃないので

やればやるほど良いと思います。

もちろん適度に。

後は湯船に浸かるとかストレッチするとか。

自分の人生にフォーカスしようと思うと

社会のステータスを上げるようなことじゃなくて

自分の健康力を上げることにつながるんだろうなって思ってます。

で、別にそのために必要な金額は特別多くなくて済むという話。

いつかは死ぬんだし、せめてギリギリまで健康で生きたいなという気持ちが

そうさせるのかもしれません。

2 感謝、謙虚

生活保護になって

自分がこの世に生かされていることを実感して

社会に貢献できない分、自分の人生を全うしようと決めてからより強く感じてるし

この意識は忘れちゃいけないなと思ってますね。

日頃、感謝を伝えるとすれば

買い物でレジをしてくれた店員とか月一のメンタルクリニックの先生とか

薬を調薬して渡してくれる薬局の人とか

荷物を家まで運んでくれた配達員とか

ちゃんと言葉としてありがとうございますと伝えるのは

すごく意識してますね。

というかちゃんと伝えたくなります。

それはまあ、こんな自分に(社会的な無能なのに)っていう自らを卑下したニュアンスも

少なからずあるのだけど

日常の繋がりを当たり前だと思わなくなってから

些細な繋がりだと思っていたことにも

感謝したくなるようになりましたね。

そこには年齢だとか色々比較できることはあるんだろうけど

そんなことは関係なくて

一人の人として感謝を伝えたいっていう気持ちがあります。

もちろん嫌いな人は嫌いですけどね。(表には出さないけど)

誰でも彼でもということではなく

あくまで自分が感謝を伝えたい人には伝えるといった感じです。

なので自分と価値が合わない人のために

極力自分の時間を使わないことも大切だったりしますね。

そんな感じです。

以上。

コメント

タイトルとURLをコピーしました